森羅万象・シニア徒然ブログ
※ ~離婚後のリアル
アラフォーというと仕事が波に乗ってきたり、育児に追われていた
りしている世代だ。夫婦の3組に1組が離婚すると言われているが、
アラフォーで離婚をした人はその後どのような生活を送っているの
だろうか。40歳で離婚をした女性に話を聞いた。
待ち合わせの喫茶店に現れた岩倉春奈さん(37歳・仮名)は、色白
で華奢な女性だった。普段はコールセンターで契約社員として働き
つつ、休日はネイリストとして副業を行っている。その証しとして
岩倉さんの爪は美しく彩られていた。
「本当はネイルサロン1本でやっていきたく、離婚前は友人と共同経
営していました。そのときはうまくいっていたのですが、1人でやり
始めたらお客さんからいただく施術代から材料費を引いたら手元に
ほとんど残らないうえ、お客さんが来ない日もあって本業にするに
は厳しくて……」
岩倉さんは27歳のときに同い年の元夫と結婚し、36歳で離婚してい
る。元夫とは冷めきった状態でほとんど口を聞いていなかった。出
産できる年齢のカウントダウンが始まっていたので子どもが欲しい
と思ったこともあったが、元夫とは何年も夜の営みがなく、何度か
話し合いもしたがレスが解消されることはなかった。
「離婚の一番の原因は私に好きな人ができたことです。職場の11個
も年下の男性で、私は興味がなかったのですが、向こうからグイグ
イ誘ってきて私も本気になってしまいました。それで、元夫と離婚
してその年下男性とお付き合いを始めたのですが、向こうはまだ若
いから余裕があって、でも私はこの年なので出産などの焦りもあり、
だんだん価値観が合わないことがわかってきて。それと年齢の差で
ジェネレーションギャップがありました。冗談でおばさん扱いもし
てきてたんですよね。結局10カ月ほどで別れてしまいました」
※ ~職場内で好きな人ができて離婚へ
また、職場恋愛をしていることで職場内でまたたく間に噂になり、
特に別れた後は元彼と職場で顔を合わせることも気まずく、周りか
らの目も気になり本気で仕事を辞めたいとすら思ったこともあった。
しかし現在は時間が解決して元彼との仲も修復され、友達のような
関係になっている。
離婚して一番変わったことは経済的な面だという。結婚していた頃
は元夫の収入に頼って生活していたが、一人暮らしをするとなると
今までの自分の収入だけでは暮らしていけず、コールセンターの仕
事を週4から週5に増やし、残業も始めた。収入のために6連勤や7連
勤することもあり、正直体力的にキツいという。
「仕事はしんどいのですが、結婚していた頃は家に帰ったら元夫の
ためにご飯を作ったり家事をしたりしないといけなかったのが、今
はすべて自分の時間に充てられて自由を得られています。離婚した
とき、元夫と飼っていた犬を残して家を出てきたので、犬に会いた
くて今は週2回ほど元夫の家に行っています」
今までインタビューしたアラフォー離婚経験者は「離婚してよかっ
た」という人ばかりだったが、岩倉さんは少し違った。 「後で元夫
から聞いた話なのですが、私に好きな人ができて離婚したことで、
元夫はうつ状態になって眠れなくなってしまったそうなんです。そ
れで、本当に申し訳ないことをしてしまったと離婚を後悔しました。
今は回復していますが、元夫を苦しめてしまったことに罪悪感を抱
いています」
元彼と別れた岩倉さんだが、現在は新しいパートナーがいる。マッ
チングアプリで知り合った1つ年下の男性ともうすぐ1年になる付き
合いをしているそうだ。 「今のパートナーは元彼とは違って同世代
なので話が合うんです。それに私をリードしてくれて優しい。共通
点もたくさんあり、やはり付き合うなら同世代が一番なんだなと実
感しています。しかも、相手もバツイチで楽なんです。
なんだか高校生の恋愛のようにくだらないことで笑い合ってとって
も楽しいです。ドキドキ感のトキメキも久しぶりに感じています。
ああ、これが恋愛なんだな、この年齢になっても恋愛できるんだな
という新鮮味のある恋愛です。こういう恋愛がもう一度できるなん
て思ってもいませんでした。ただ、11個も年下の元彼と付き合った
ことはいい人生経験になったとは思っています」
今は新しいパートナーとの同棲に向けて引っ越し費用を貯めている
最中だという。再婚願望はないのか尋ねると、まずは同棲してから
後々のことは考えるとのことだった。
「今後の目標としては、コールセンターの仕事をセーブし、もう一
度友人とネイルサロンを共同経営してネイリストを本業にすること
です。ほかにも資格も取りたいなと思っています。ただ、今はコー
ルセンターの仕事でパツパツなので資格の勉強をする時間もほとん
ど取れていません。加えて週2〜3回はパートナーと過ごしているの
で時間がない状況です。
パートナーとの同棲に向けて物件選びもしないといけないし、彼と
一緒に住むなら猫も飼いたいんですよね。物件サイトを見るとペッ
ト可の物件が少ないので悩み中です」 仕事は大変だが新しいパート
ナーと仲良く過ごしている岩倉さん。今後はお互い傷つくことなく
新たなパートナーと歩み、ネイリストとしての仕事が成功すること
を願うばかりだ。…
※~ 食生活の欧米化
今から20年前に『スーパーサイズ・ミー』というドキュメンタリー
映画がありました。モーガン・スパーロックというアメリカ人が監
督・主演した映画です。
2002年に肥満に悩む青年がファーストフードチェーン・マクド
ナルドを訴えました。その報道を見たスパーロックさんが肥満との
相関を確かめるべく、〝一カ月間マクドナルドの商品だけを食べ続
ける〟と決め、自ら被験者となって、現代のアメリカ人の食生活を
検証したのです。
スパーロックさんは三食全部をマクドナルドで食べ、水もマクドナ
ルドの店内で飲み、時には日本のメニューにはないスーパーサイズ
を食べました。その結果、健康体であったスパーロックさんは一カ
月で体重が11㎏増え、体脂肪率も18%まで上昇し、しばしばうつ状
態になり、動悸もするようになりました。さらに肝機能障害も起こ
ったといいます。
この映画は大ヒットして、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞に
ノミネートされました。マクドナルドはこの映画に対して色々と反
論をしましたが、その後スーパーサイズをメニューから外し、より
健康的なメニューを提供するようになったということです。
訴訟の方は「因果関係が認められない」として裁判所に脚下され、
マクドナルド側の勝利に終わりました。実験後スパーロックさんが
100人の栄養士に状況を説明して意見を求めたところ、全員が「
あのような食品はカロリーが高いから、一カ月に一回程度にした方
がいいですね」という回答だったそうです。
1977年、アメリカでマクガバン・レポートが発表されました。
レポートではハンバーガー・ステーキ・アイスクリーム・炭酸飲料
などのアメリカの典型的な食事が、癌や心臓病、脳卒中を引き起こ
すとし、それを避けるために、伝統的な日本食のようなもの、米や
魚、野菜、大豆製品、海藻などを食べることを推奨しています。そ
して当時、俄かに日本食ブームが、特にハリウッドセレブの間で起
こりました。
2013年、和食はユネスコの無形文化遺産に登録されました。こ
れは、人類が守り、継承していくべき無形の文化として和食が世界
的に評価されたということです。
※~ 明治の初めに日本の近代化
近代化を急ぐために優秀な外国人をたくさん招聘しました。鹿鳴館
を設計したジョサイア・コンドルもその一人です。この人の弟子の
辰野金吾が後に東京駅や日銀の本店を設計しました。かの有名な札
幌農学校のクラーク博士も農業振興のために日本に招聘された一人
です。
明治の初めに招聘された外国人の中にドイツ人のエルヴィン・フォ
ン・ベルツという医学博士がいました。明治天皇や大正天皇の侍医
を務め、「日本の近代医学の父」と称えられている人です。この人
の進言によってご静養のために沼津や葉山などの御用邸ができまし
た。このベルツ博士が、「和食は日本人に非常に適しているすばら
しい食事だ」と言われたそうです。これは自身の体験に基づくもの
でした。
ベルツ博士が日光の東照宮に観光に行った時の話です。東京から日
光までは140㎞あります。今では道がずいぶん整備されています
が、当時、日光東照宮までの道のりは非常に険しいものでした。ベ
ルツ博士は馬を六回乗り換えて丸二日かけて日光に到着しました。
そして日光の風景を楽しんで、また馬を乗り継いで東京に帰りまし
た。
ベルツ博士はある日、人力車の車夫に「日光の景色は本当にすばら
しい。まさに日本が世界に誇るべき名所だ。機会があれば、ぜひも
う一度行ってみたい」と言ったのです。
すると、車夫が「博士、では次回は私がお連れいたしましょう」と
言ったのです。それを聞いた博士がびっくりして言いました。 「何
を言ってるんだ。馬でも六回乗り換えたのに、君のような小さな体
の人間が、人を人力車に乗せてあの険しい坂を登っていけるわけが
ないだろう」
すると車夫が言いました。 「でも博士、私は今まで人を乗せて何度
も日光に行ってますよ」 実際その二年後に、その車夫の引く人力車
でベルツ博士は日光に行ったのです。驚いたことに馬で行った時と
同じぐらいの時間で、車夫は一人で険しい坂を登り切ったのです。
そこでベルツ博士はいたく感心して車夫に尋ねました。 「君は一体
日頃どんな物を食べているんだ?」 車夫は「玄米に味噌に豆と野
菜ですね。そしてたまに、懐に余裕のある時に魚を食べます」と答
えました。
ベルツ博士が「肉は食べないのか?」と尋ねると、 「そんなものは
食べたことありません」と車夫は答えます。 ベルツ博士はそこで考
えました。 〝そんな粗食でこれだけの力が出せるなら、ドイツの近
代的な栄養学に基づいたものを食べたらもっと力が出るだろう〟
そこで、ベルツ博士は車夫に「実験に協力してほしい」と、牛乳や
バター、肉など高カロリーのものを食べさせました。その二週間後、
車夫が言ってきたそうです。 「ベルツ博士、申し訳ないけれど、以
前の食事に戻していただけませんか。全く走れなくなりました」と。
よく時代劇で人力車夫が「ひとっ走り行ってくる」という台詞が出
てきますが、あれは当時の10里、現在の40㎞くらいのことだそうで
す。つまり今のマラソンぐらいの距離を、彼らは「ひとっ走り」で
走っていたのです。
でも食事を変えた途端にその「ひとっ走り」ができなくなってしま
ったのです。ベルツ博士は驚きました。〝食事を変えたらもっと走
れるようになる〟と思っていたのが逆の結果だったからです。そし
て、食事を元に戻すと、車夫はまた以前のように「ひとっ走り」が
できるようになったのです。
この結果を見てベルツ博士は「和食は日本人に本当に合っている」
と結論づけたのです。ベルツ博士はこの実験結果を明治政府に報告
しました。 「和食はすばらしいので、西洋式の食事に変える必要は
全くありません」と。
明治政府はその報告を喜びませんでした。なぜなら、明治政府は日
本人を欧米人に負けない体格にすることをめざしていたからです。
明治政府は〝博士達欧米人は日本人の体格が欧米人並みになるのを
好まないからだろう〟と疑って受け止めたようです。
昨今、「地産地消」とか「身土不二」と言われますが、食はその国
・その地域にあったものが一番良いということが言えると思います。
ドイツは日本より寒い国なので、脂肪や肉の摂取がどうしても必要
になるのです。…