一孝編・シニア徒然ブログ
「ダウン症って知ってる?みんなの体の中にある染色体が突然変
異で1本多くなったの。
ほら、三つ葉のクローバーの中に四つ葉のクローバーがあるのと
同じよ」「ダウン症にもいろんな人がいてね、私の娘の梓(あず
さ)は筋力が弱いから長く歩けなかったり、文字の読み書きや意
思疎通が難しいこともあるの」。
優しく語りかける言葉に、小学生も保護者も引き込まれるように
聞き入っていた。
「あずさからのメッセージ~子どもに学ぶ命の尊さ~」と題した
授業が口コミで評判をよんでいる。福岡市の元小学校教諭・是松
いづみさんは、38歳で出産した次女・梓さんがダウン症だった。
59歳で早期退職し、今は大学で講師を務める傍ら、福岡県内の小
学校をはじめ中学校やPTA、先生の研修などで梓さんのエピソー
ドを伝え続けている。
梓さんのことを伝える授業を始めたきっかけは?
2002年、私が担任していた5年生に授業で話したところ、お子さん
の話を聞いた保護者から「私たちも聞きたい」と言われて、保護
者向けにお話しました。すると少しずつ他の小学校からも声がか
かるようになり、17年間で700回近く出前授業や講演会をするよう
になりました。
梓さんがダウン症とわかったとき、どんなお気持ちでしたか?
産後すぐ、心臓の音が弱いので検査を受けるようにと医師に告げ
られ、梓だけ救急車で総合病院に搬送されました。
そして1週間後、梓の心臓には穴が開いていて、ダウン症であるこ
とを夫から聞きました。私と夫は大学のボランティアサークルで
ダウン症の子と接したことがあったので、少しは理解しているつ
もりでした。
でも、いざわが子となると動揺してしまい、私は仕事をしながら
育てていけるかなと不安におしつぶされそうで……。
ちょうどその頃、私は教師に向いていないかもと悩んでいたけど、
「やっぱり教師の仕事が好き。続けたい」と気づくことができた
のは梓のおかげです。だから気持ちを切り替え、ダウン症の梓を
受け入れてくれる保育園を探しました。
梓さんは次女なので、兄姉にどう伝えるか悩んだのでは?
梓が生後3か月の頃、お兄ちゃんは小3、お姉ちゃんが小1。4人で
お風呂に入っているときに伝えました。「梓はみんなと違うとこ
ろがあるから聞いてくれる?
梓はゆっくり成長していく子どもなんよ。だからひらがなを書け
るのもいつになるか、わからん」と。
すると息子が「え、自分の名前くらいは書けるやろ」と言うから、
「もしかしたら、ずっと書けんかもしれん」と答えました。
息子はじっと梓の顔を見て、何と言ったと思います?授業で子ど
もに発表してもらうと「何で?」「僕が教えてあげる」「ゆっく
りできればいいよ」などと答えてくれます。
実際、息子はこう言いました。「お母さん、こんなにかわいっち
ゃもん。いてくれるだけでいい。何もできんでいい」。私は涙が
止まらず、顔を洗って気づかれないようにするのが精いっぱいで
した。
梓が3歳、姉が小4のときのエピソードを授業で話します。夕食の
とき、娘が「私は将来、たくさん子どもがほしいなあ」と言うの
で、私は「いいねえ、あなたは子どもが好きだから楽しいっちゃ
ない」と答えました。
すると娘は「私も障害のある子を産むかもしれんやろ。そしたら
……」、さあ、何と言ったでしょう?
授業では「私、大丈夫かなあ」「お母さん助けてね」などと答え
が返ってきます。実際は「おもしろいね」と娘が言ったんです。
意外でしょ?「手話したり車いすを押したり、いろいろな兄弟姉
妹がいたら楽しい」と。子どもの発想にハッとさせられまし
小学校は特別支援学校ではなく、地域の通常学級に進学された
そうですね。
名前の読み書きもできず、重い障害のある梓が地域の小学校でや
っていけるか心配でした。でも、保育園の園長先生が背中を押し
てくださったんです。
「赤ちゃんのときから一緒に育ってきた子たちが一緒に入学する
から大丈夫。友達は梓ちゃんが何て話しているかわかるし、保育
士が靴を履かせようとしたら『もうちょっと待ってあげたら、ひ
とりで履けるよ』と教えてくれる。
みんな梓ちゃんが大好きなのよ」と。それで教育委員会や地域の
小学校にお願いして、通常学級に行けることになりました。
小中学校生活で、特に印象に残っていることは?
運動会です。小学4年のとき、梓は友達とソーラン節を立派に踊り
ました。よく見ると、移動のときは誰かが背中をそっと押してく
れて、ポーズを取るときは隣の子が「手を伸ばして」と声をかけ
てくれていて。
客席から「あず、頑張れ」「かっこいい」と大声援を送ってくれ
た中学生は、1年生の梓をお世話してくれた6年生たちでした。
中学の体育会も感動しました。中学では生徒がダンスリーダーに
なり、曲や振り付けを決めます。大移動や難しいステップがあり、
梓は足踏みしたりオタオタしたりして全体を乱してしまい、見て
いる私は毎年申し訳なくて。
でも、3年生の体育会は、先生が「是松さん、今年は期待してね」
と言うのです。 当日、梓はみんなと同じように踊っていました。
先生によると、梓の同級生がダンスリーダーになり、梓に根気強
くダンスを教えてくれて、梓ができるステップだけでダンスを組
み立ててくれたのだそう。
たった1人の梓のことを考えて、仲間みんなで素晴らしいダンス
を創り上げてくれた……。みんなが踊る姿を見ている先生方も涙
を流されていました。 梓さんの存在によって、みんなが1つにな
ったんですね。
25歳になり、福岡市内の障害者就労支援施設で、タオルたたみの
仕事をしています。できないことはたくさんありますが、今もい
ろんな人に助けてもらいながら、マイペースで楽しく生活してい
ます。
障害者のご家族が聞かれることもあるのでは。
「弟が特別支援学級にいて、嫌だなと思っていた私はダメなお姉
ちゃんでした。これからは弟に優しくしたい」と泣き出した子が
いたし、支援学級の保護者から「子どもを産んでよかったと今日
初めて思いました」と言われたこともあります。
今は福岡市で生まれた子の10人に1人が、発達に関して公的機
関に相談に来ているというデータもあります。
障害は、誰もがなり得ます。誰にでも人と違うところや苦手なこ
とがあります。どこまでが健常でどこからが障害という線引きも
曖昧だと感じています。
それなのに、現実として差別はなくならず、障害のある人に会う
と戸惑ってしまう気持ちも理解できます。だって、障害者のこと
を知る機会がないから。
私の話を通して「障害」を捉え直し、「仲間」「家族」「生き方
」に思いをはせてほしい。そして今の自分に気づき、なりたい自
分を見つけてもらえるとうれしいです。しかめっ面な社会の空気
が少しでも柔らかくなるように願っています。……
※ ~
みんな歳を取りながら生きている。
年を取りたくない人は今すぐ死ぬしかない。
つまり、歳を取ることは有り難いことなのである。
だから「歳を取ったからモウロクした」と考えるのではなく、
「モウロクするほど長生きしたんだ」と喜びましょう。
「とうとうおむつをしなければならなくなった。情けない」と考
えるのではなく、「おむつが必要になるほど長生きしたんだ」と
考えればいいのだ。
若い人にも言いたい。
「ついにうちのばあさんの介護が始まった。大変」と愚痴るので
はなく、「おばあちゃんも介護が必要になるほど長生きしてくれ
た」と思うこと。
※ ~
介護施設の職員さんから聞いた話だが、手に負えないお年寄りが
たくさんいるそうだ。
悪態をつく、言うことを聞かない、意地悪。それはその人の性格
ではなく、そういう人生を積み上げてきて、その集大成として「
今」があるのだと思う。
長年、老人医療に携わってこられた堀川病院の早川一光先生
(故人)を取材したのは25年前だ。
早川さんは実にたくさんのお取り寄りをあの世に送った。途中か
ら、「どうせ死ぬんだから病気を治すのはやめよう」と思ったと
いう。
でも病気を治してこその医者ではないか。
じゃぁ私は何を治す医者なのか。
ふと考えた。日頃、年寄りに言っていることがある。
たとえば、「おばあちゃん、お元気ですね」と声を掛けると、
「元気で悪いか」と返す人がいる。
また、「私は歳取っても嫁の世話にはならん」と言う人もいる。
早川先生は「そんなことを言うもんじゃないですよ」と言う。
「介護が必要になったとき、息子夫婦、娘夫婦から『私たちが看
ます』と言ってもらえるような年寄りにならないといかん」
「何は無くても歳を取ったら素直が一番。『すまんね』『ありが
とう』が素直に言える年寄りにならなければいけません」と。
「そうか。私は患者の心を治す医者になろう」、
早川先生はそう思ったという。
とにかく歳を取ると、今まで出来ていた家事もやってもらわなけ
ればならなくなるのだから、今のうちから何でも「ありがとう」
と口癖のように言えるようにならなければならない。
そうすると、家族から「おばあちゃん、いつまでも元気でいてね
」と言われるようになる。
年寄りのシワを見た若い人が「この方はたくさんの経験を積んだ
人なんだな」「たくさん苦労し、たくさんの苦難を乗り越えてき
た人なんだな」と思う。そのためのシワなのだ。
だから、歳を取ったら立派な人になる。
これがかつての人間社会の定石だった。
「老い」は自然現象である。
歳を取るから老いるのではなく、生まれた瞬間から一緒にいる。
ずっと後ろから忍び足でついて来ていたから気付かないだけ。
若い時の「老い」ははるか後ろにいて、ゆっくりついて来ていた。
それがいつの間にか、同じ速さになり、
すぐ真後ろに来ている。
そしてある日、突然、背中を「トントン」と叩いて言う、「オイ!
」と。
やがて「老い」が先を行くようになる。
その後をトボトボをついていくのが残念なお年寄り。
じゃぁどうしたらいいか、先を行く「老い」を追い抜くのだ。
そして後ろを振り向いて、言う。
「オイ、何してる? はよ来んかい!」って。
つまり、「80歳になったらこうしたい」「90歳になってもやるこ
とがある」いつも将来に夢を抱いて生きている人にとっての「老
い」がまさにこれ。
「老い」が追いつけなくなる。
後ろのほうから「老い」が「おいおい、待ってくれ!」と言って
必死で追いかけてくるようになる。
そういう人はいつまでも若々しい人、早川先生がそうおっしゃっ
ていた。……