THEライフ・シニア徒然ブログ
ミツバチは、その一生をかけて、働きづめに働いて、
やっとスプーン1杯の蜂蜜を集めるのだという。
ミツバチの世界は階級社会である。ミツバチの巣に
は1匹の女王バチと数万匹もの働きバチがいる。
女王バチから生まれた働きバチはすべてメスのハチ
である。この数万の働きバチたちは、自らは子孫を
残す機能を持っておらず、集団のために働き、そし
て死んでいくのである。
ミツバチの世界では、たくさん生まれたハチの幼虫
の中から、女王になるハチが選ばれる。
その選抜の過程など詳しいことはわかっていないが、
選ばれた幼虫はロイヤルゼリーという特別な餌を与
えられて育つことによって体長12~14ミリメートル
の働きバチよりも体の大きな体長15~20ミリメート
ルほどの女王バチとなる。
そして、女王は卵を産み子孫を増やしていくので
ある。
働きバチにとって、巣の中にいる大勢の仲間は同じ
女王バチから生まれた姉妹である。姉妹は親から遺
伝子を引き継いでいるから、仲間を守ることが、自
分の遺伝子を守ることになる。そのため、彼女たち
は巣の仲間のために働くのである。
そして、姉妹の中から女王バチが選ばれれば、そこ
から生まれる次の世代は、働きバチにとっては姪っ
子になる。自らは子孫を残せなくても、自分の遺伝
子は受け継がれていくのだ。
ロイヤルゼリーを餌として与えられる女王バチが数
年生きるのに対して、働きバチの寿命はわずか1カ
月余りである。
この間に、働きバチたちは、働けるだけ働くので
ある。
働きバチというと、花から花へと移動して蜜を集め
る印象が強いが、働きバチの仕事はそれだけではな
い。成虫になった働きバチに与えられる最初の仕事
は、内勤である。
働きバチは最初のうちは、巣の中の清掃や幼虫の
子守りを行う。
やがて働きバチは巣を作ったり、集められた蜜を管
理するなど、責任のある仕事をまかされるようにな
る。この頃が、働きバチのキャリアにとってもっと
も輝かしいときなのだろう
ミドルを過ぎたミツバチたちに与えられるのは、
危険の多い仕事である。
初めにまかされるのが、巣の外で蜜を守る護衛係
である。ミツバチにとって巣の外は危険極まりな
い場所である。
出入り口とはいえ、巣の外に出ることは緊張を伴
う仕事だろう。
そして、働きバチのキャリアの最後の最後に与え
られる仕事こそが、花を回って蜜を集める外勤の
仕事なのである。
その生涯の後半、2週間が花を回る期間である。
まだ見ぬ世界への飛翔。
しかし、巣の外には危険があふれている。クモや
カエルなど、ミツバチを狙う天敵はうじゃうじゃ
いるし、強い風に吹かれるかもしれないし、雨に
打ちつけられるかもしれない。
蜜を集める仕事は、常に死と隣り合わせの仕事だ。
いつ命を落とすやもしれない。一度、巣を離れれ
ば無事に戻ってこられる保証など何もないのだ。
働きバチたちは、そんな危険な世界へと、決死の
覚悟で飛び立っていく。
そんな過酷な仕事を、とても経験の浅いハチにま
かせるわけにはいかない。このときこそ、経験豊
かなベテランのハチの力の見せどころなのだ。
老い先の長くないハチだからこそ、巣のためにで
きることがある。最後のご奉公として、仲間のた
めに、次の世代のために、危険な任務を担うので
ある。
老いたミツバチはかいがいしく花から花へと飛び
回り、蜜や花粉を集めれば、巣に持ち帰る。そし
て、再び、危険な下界へと飛び立つ。
これを休むことなく来る日も来る日も繰り返すの
である。
目まぐるしく働き続けた毎日も、やがて終わりを
告げる。
危険を覚悟で飛び立った働きバチは、どこか遠く
で命が尽きる。それはお花畑かもしれないし、そ
うではないかもしれない。
ミツバチの巣は何万もの働きバチで構成されている。
毎日、おびただしい数の働きバチが、どこかで命を
落としていることだろう。
しかし、それでいいのだ。女王バチは、1日に数千
個もの卵を産む。そしておびただしい数の新しい働
きバチたちが、デビューしてくるのである。
1匹のミツバチは、働きづめに働いて、やっとスプ
ーン1杯の蜂蜜を集める。…
そういえば、労働時間が長く、休みなく働く日本の
サラリーマンは、世界の人々から「働き蜂」と揶揄
(やゆ)されていた。
そんな日本のサラリーマンの生涯収入は平均2億500
0万円。億単位のお金だからものすごい金額に思える
が、札束にしてみれば事務机の上に簡単に置けてし
まう。大きなボストンバッグに入れれば持ち運べて
しまうサイズだ。
われわれも一生、働いてみても、ミツバチの集めた
スプーン1杯の蜜を笑うことはできないのだ。…
大切な誰かを亡くした時、私たちはどのようにそ
の悲しみを受け止めればいいのか。
青空をバックに、黄色に色づいたイチョウの並木。
背後から一筋の煙が立ちのぼる。おばあちゃんが
天に昇っていく……。
清美は思わず目頭が熱くなり、ハンカチでまぶた
を押さえた。
幼い頃から可愛がってくれていた85歳の母方のおば
あちゃんが危篤になった――。
独り暮らしをしながら東京で働いている清美の携帯
に、母から着信があったのが一昨日の午前10時過ぎ
のこと。
おばあちゃんは脳梗塞を患っており、ここ2年ばか
り、家から車で1時間ほどのところにある、地元の
総合病院に入院していた。
会社を早引きして、家に帰り、実家がある町まで
直通の特急が出ている新宿駅に着いた時点で、既
に午後2時を回っていた。
そこで母から再び着信があった。
いやな予感がしたが、勇気を出して電話をとった。
案の定、おばあちゃんが亡くなったという。
底が抜けた気持ちのまま列車に乗り込み、ぼんや
りと車窓を眺めた。左側に南アルプスがよく見え
る、大好きな場所を通過した。
山々が夕陽を受け輝いている。思わず、額を冷た
いガラスにつけて見入ってしまった。
その日、実家でおばあちゃんに対面した。
部屋には線香の匂いが立ち籠めていた。白装束に
身を包み、表情は穏やかで、眠っているようだっ
た。おばあちゃん、間に合わなくてごめんね。清
美は心の中でそうつぶやいた。
翌日の告別式では、長いこと顔を合わせていなか
った叔父や叔母、従妹に会えたこともあり、悲し
みが紛れたが、遺体が荼毘に付される翌々日は駄
目だった。
おばあちゃんが白木の棺に収められる時は見てい
られず、思わず下を向いてしまった。火葬場でも、
棺が炉に入れられる前に建物の外に出てしまった。
「姉さん」振り返ると、従妹の優子が立っていた。
母の妹の長女で、地元の高校を出て働き、はやく
に結婚し、今はもう2児の母親だ。
喪服の下のお腹は大きく、もうすぐ3人目が生まれ
るのだという。年はほぼ同じ、背格好も顔のつく
りも似ているのに、対照的な人生を歩んでいる。
「おばあちゃん、逝っちゃったね。…姉さんはさ、
おばあちゃんとの思い出というと、何がある?」
優子が尋ねる。
えー……。思い出そうとするが、なかなか出てこ
ない。すると優子が「私はカレーかなあ」と言った。
聞くと、優子は子供の頃からカレーが大好物で、
幼稚園児の時、おばあちゃんの家に一人で泊まり
に行った際、夕食にはカレーが食べたいとせがん
だそうだ。
おばあちゃんは、ちょっと渋い顔をしたそうだが、
夜にはちゃんとカレーが出てきた。福神漬けも添
えられ、おいしそうだったという。
「でも、そのカレーに長ネギが入っていたの」
「カレーに長ネギ! あり得ない」清美は思わ
ず吹き出した。
「こんなのカレーじゃないって駄々こねたら、
おばあちゃんがしきりに謝ってくれたの。
おばあちゃん、昔おじいちゃんに買ってもらった
料理書を引っ張り出して、その日、生まれて初め
てカレーを作ったんだって。
それで、近所に買い出しに行ったんだけど、玉ね
ぎを買い忘れちゃって、代わりにネギを入れたん
だって。裏庭でたくさん作っていたから。
それを知ったのはずっと後、高校生の時なんだけれ
ど、なんだかしんみりしちゃった。おばあちゃんに
悪いことしたなって。おいしいと言って食べてあげ
ればよかった」
清美は思わず向こうを見上げた。青い空に煙はもう
なかった。
火葬場のエントランスのあたりに人が出てきた。両
親の姿も見える。納骨のため、墓地に行く時間らし
い。優子も振り返り、二人で歩き出した。
帰京はその翌日だった。後ろ髪を引かれる思いがし
て、夕方の切符を取っておいた。
昼前、母親が掃除に行くというので、実家からバス
でおばあちゃんの家に二人で向かった。
母から荷物の整理を頼まれ、畳敷きのおばあちゃん
の部屋に入ると、見覚えのある桐の箪笥があった。
下の4段は引き出しになっており、着物や帯、肌着が
収納されていた。衣装箪笥はそこまでで、その上は
引き戸になっていた。
小さかった頃の清美はその引き戸に手が届くほどの
背丈がなかった。でも今は箪笥よりも背が高くなっ
たから、悠々と手が届く。
清美はそっと引き戸を開けた。思ったより雑然とし
ている。
指輪が入っているらしい木箱、ネックレスが収まっ
ているらしいプラスチックケース、手紙や葉書、ア
ルバム。奥のほうに何冊か本もある。
取り出してみると、すべて絵本で、見覚えがあるも
のばかりだった。
『赤いろうそくと人魚』『ねずみの嫁入り』『龍の
子太郎』…。その場に座り込み、1冊を取り上げて、
ページをぱらぱらとめくっていく。そのうち、ふと
気づいた。
すべての漢字に、鉛筆でルビが振ってあるのだ。赤
い、青い、来た、走る、食べる、といった小学校1年
で習うような初歩的な漢字を含め、ひらがな、カタ
カナ以外のありとあらゆる文字に――。
そこで思い出した。両親が共働きだった清美は、幼
稚園や学校が終わると、ほぼ毎日、この家に来てい
た。迎えにきてくれたおばあちゃんとバスに乗った。
家に着くと、おばあちゃんはまずおやつをくれた。
食べ終わると、絵本を読んでもらった。
一方、母からはこんな話を聞かされていた。
おばあちゃんの生まれた家は農家で、父親が戦争で
亡くなってしまったため、生活は苦しかった。
おばあちゃんは小さいときから畑の手伝いをさせら
れ、小学校もろくに通わせてもらえなかったと。
今まで気づかなかったが、おばあちゃんはきっと、
漢字が読めなかったのだ。
でも、絵本好きの清美のために、一生懸命漢字を勉
強し、絵本の一文字一文字にルビを振って、毎日、
読んでくれたのだ。
清美は思わず絵本を抱きしめた。これは私の宝物だ。
結婚して、子供が生まれたら、絶対これで読み聞か
せをしてあげるんだ。その絵本は今も大切に清美の
本棚におかれている。・・・