シニア徒然ブログ

マイペースの自己満ブログです。 人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない… 小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく。 神戸発信…

一孝編・シニア徒然ブログ

シニア徒然ブログ





私たち大人は、翌日が学校に行く日であることを考えると、子ど
もたちが深夜までゲームをすることに素直に賛成できないのでは
ないでしょうか。しかし、子どもたちが夜遅くまでゲームに没頭
するのには、それなりの理由があるのです。


拓真君(仮名)は両親と一緒に暮らしています。幼稚園時代から
一人で遊ぶことを好み、集団にとけこむことが苦手でした。幼稚
園の年長からポケモンのゲームを始め、数多くのポケモンの名前
やその特徴をよく覚えていました。  


小学校入学後は、放課後すぐに帰宅し、ゲームに没頭する毎日を
送っていました。教室ではおとなしいため、からかわれても上手
に言い返すことができず、同級生から悪口を言われたり、教科書
を隠されたり、時には頭をたたかれたりするようないじめに遭っ
ていました。


それでも、学校を休まず通い続けました。中学校入学後も、いじ
めが続きました。そのせいで2年生の2学期からは学校を休むよ
うになりました。そして不登校の期間が長くなったため、2年生
の10月にお母さんと一緒に思春期外来を受診したのです。  


初診時の拓真君は、中学生になってからオンラインゲームの「ス
プラトゥーン」(インクを塗り合ってチームで陣地を取り合う対
戦ゲーム)に夢中になり、夜遅くまでゲームをするようになった
ことを話してくれました。  


お母さんは「ゲームが原因で登校できないことは分かっています。
ゲームをやめるように口うるさく言いましたが、まったくやめる
気がありません。それで、パソコンのWi-Fi(ワイファイ)
がつながらないようにしましたが、拓真はそれを復旧させ、また
使い始めました。


夫に相談しても、好きなようにやらしておけというだけで無関心
なのです」と泣きながら話しました。  


自閉スペクトラム症(ASD)のグレーゾーンと不登校、それに
ゲーム依存ということで、2週間に1度、お母さん同伴で通院し
てもらうことになりました。




その後、高校には無事、入学できたのですが、入学後、ゲームに
没頭する生活がますますひどくなりました。夜中はほとんど眠ら
ずに朝を迎える日が続きました。


お父さんもついに、ゲームをやめるようにと言いましたが、拓真
君は全く聞く耳を持ちませんでした。とうとう、夏休み明けから
高校を休学することにしました。  


休学後に受診した拓真君に、主治医が「どうして夜中にゲームを
するのだろうね」と尋ねると、こう明かしてくれました。「確か
に夜になるとオンラインゲームの仲間がゲーム上に集まってくる
ということもありますが、それだけではないのです。


実は、夜になると嫌なことばかり考えてしまうのです。小中学校
でいじめられた場面を今でも思い出してしまうのです。学校での
いじめばかりではありません。


お父さんとお母さんは昔から仲が悪く、僕が小さい頃から目の前
で夫婦げんかばかりしていました。そんなことも夜になると思い
出してしまいます。


でも、夜、ゲームに夢中になると、嫌なことを忘れることができ
ます。だから夜にゲームをすることがやめられないのです」  


その後の拓真君は、全日制高校を退学し、通信制高校に通うよう
になりました。通信制高校の登校日以外の日には相変わらず、夜
中にゲームをしていますが、学校では同じゲーム好きの同級生と
仲良くなり、休み時間にゲームの話で盛り上がることもありました。


また、日中、コンビニでアルバイトを始めるようにもなりました。
このような変化が生じた後の拓真君は、夜のゲーム時間が少しず
つ短くなっていきました。  


通信制高校に通い出して6か月がたった拓真君は「アルバイトは
きついけれど、店長さんが優しい人で、仕事を丁寧に教えてくれ
ます。お客さんに感謝されることもたまにあるのです。リアルの
世界が充実してくると、過去の嫌なことを思い出すことが少なく
なりました」と話してくれました。




拓真君は、学校でのいじめや両親のけんかの目撃がトラウマとな
って、時間がたっても嫌な場面を思い出すフラッシュバックが続
いていました。ゲームに没頭し、依存することで、何とかフラッ
シュバックを抑えようとしていたのでした。  


拓真君から教えられたのは、ゲームに依存することが、フラッシ
ュバックというトラウマの症状から自分の心を守る一つの手段に
なっていたということです。


大人のアルコール依存症でも、過去の嫌な記憶から逃れるために
連日、大量の飲酒を繰り返し、 酩酊めいてい に至るということ
がしばしばあります。


ゲーム依存はアルコール依存症とは依存対象がまったく異なりま
すが、依存に足を踏み入れる動機はとても似ているような気がし
ます。自分を救うために依存したものは、一時的にはつらい気持
ちから自分を解き放ってくれます。


しかし、根本的な解決にはならず、傷ついた自分の心を完全に回
復させる手段にはなりえないのです。  


子どもでも大人でも過去の不快なトラウマ体験はずっとつきまと
い、今を生きる自分を苦しめることになります。トラウマを克服
するためには、表面に現れた依存症だけを強制的に治そうとして
もうまくいきません。


トラウマやフラッシュバックから自分を守ってくれた依存対象を
失うと、再び、フラッシュバックがたびたび生じて苦しくなりま
す。そうならないようにするには、病的な依存対象ではなく、よ
り健康的な依存対象を見つけることが大切になってきます。


拓真君の場合は、通信制高校やアルバイト先が安心していられる
居場所となり、そこでの人との交流のなかで気持ちが満たされ、
フラッシュバックが少なくなっていったと考えられます。  


私たち大人は、ゲームに没頭する子どもたちに対して、すぐにゲ
ームをやめさせようとしがちですが、なぜそこまでゲームに依存
するのか、じっくりと話を聞いてあげる必要があるのです。


そうした、話を聞いてあげるという現実世界でのかかわり自体が、
傷ついた彼らの心を癒やすきっかけになるのかもしれません。……










日本の出生数が90万人を割れました。出生期の女性が減ったこと
が大きな要因です。ですが、産まれてくることができなかった赤
ちゃんがこんなにもいることを…


「母体保護法」戦後間もない1948年7月13日に公布・施行された。
そのときは「優生保護法」という名称だった。お腹に宿った子が、
親にとって不都合な場合、母体の保護を目的として中絶を認める
という法律である。  


戦前・戦中の「産めよ、殖やせよ」政策の影響で増えすぎた人口
を抑えようという政府の思惑があった。「1人の女性が5人も6
人も産むのは健康上問題がある」と産児制限の必要性を訴える女
性団体の主張もあった。


また、強姦による妊娠件数も少なくない時代だった。「中絶やむ
なし」の風潮は、確かにあった。翌年には「経済的な理由」が認
められ、一気に中絶件数は増えていった。  


その後、この法律を巡って経済団体や宗教団体、障害者団体が異
議を申し立て、約半世紀にわたり激しい議論が展開された。国会
に何度も改正案が提出されては廃案となった。  


1996年にやっと国会を通過し、現在の名称になった。中身を見て
みると、4条から13条、16条から24条にかけての条項が「削除」
と明記されている。激しい議論の爪痕が見て取れる。  


そして、「妊娠の継続、または分娩が母体の健康を害するおそれ
がある場合」「暴力によって妊娠した場合」「経済的な理由」、
この三つのケースに限って、人工妊娠中絶は認められることにな
った。  


ただ、法律はいかようにも解釈され、運用される。平成18年9月
号の『生命尊重ニュース』に掲載された広島大学の金澤文雄名誉
教授のレポートによると、その前年の中絶件数約31万件のうち、
95%が「経済的理由」によるものだった。  


ところが、208人の中絶経験者に「中絶の理由」を聞き取り調査
した別の報告書によると、「経済的余裕がない」「相手と結婚し
ていない」「仕事や学業を中断したくない」「相手との将来が描
けない」「育児に自信がない」「これ以上子どもはほしくない」
など理由は様々で、「母体の健康を害するおそれがあった」のは
6.3%にすぎなかった。金澤さんは「法の要件などは念頭にな
いようである」と綴っている。  


かくして法律が施行された1948年から今日までの約70年の間に、
生まれてくることができなかった胎児は7600万人を超えるそうだ。  
かつて「人のいのちは地球より重い」と言った総理大臣がいた。
建前では皆「この世の中にいのちより大事なものはない」という。


日本人のいのちに対する定義の中に「胎児」は入っていないのだ
ろうか。1973年、現在の中央教育審議会が創設される前、その準
備段階で設置された総理大臣の諮問機関「文化と教育に関する懇
談会」の席上、委員の1人だったNHKアナウンサー(当時)の鈴木
健二さんがこんなことを発言していた。  


「胎内に受精卵が着床した瞬間、生命は誕生し、この時点からす
べての人間はあらゆる種類の良い教育を受ける権利を持つ」『生
命尊重ニュース』より  


確かに生命は胎内から始まっている。戦前、生まれた日を1歳の
誕生日としていたのは、お腹の中にいた十月十日もちゃんと年齢
にカウントされていたからだ。  


『生命尊重ニュース』を発行している生命尊重センターが今、思
い切ったこと提起している。中絶を合法化した1948年7月13日を
逆手にとって、その日を「生命尊重の日」に制定しよう、と。  


中絶は、やむを得ないケースもあると思う。だから頭ごなしに「
悪」と言っているのではない。「こんな悲しいことはない」と言
っているのだ。  


「生めない」「育てられない」という現実や不安があることを考
えると、そこに何らかのサポートがあったら、年間約18万人、1
日約500人の赤ちゃんの大半は、生まれてくることができる。  


出生率の向上や子育て支援は今や政治の最重要課題の一つである。
これらの問題に取り組むとき、どうかこの数字を前面に出して議
論していただきたい。 ……









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