シニア徒然ブログ

マイペースの自己満ブログです。 人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない… 小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく。 神戸発信…

THEライフ・シニア徒然ブログ

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※ ~『生き物の死にざま はかない命の物語』



地面に立つコチドリが翼をだらりと下げ、翼を引きずるようなしぐ
さをしている。 近づけば、翼をだらりと下げたまま、なんとか逃れ
ようとする。 追いかければ、コチドリもこちらのようすをうかがい
ながら、少しずつ少しずつ逃げていく。


ところが、しばらく翼を引きずりながら移動していたかと思うと、
いきなり飛び立ってしまった。 じつは、この鳥はケガをしていたわ
けではない。ケガをしているふりをしていたのである。


これは「擬傷(ぎしょう)」と呼ばれるコチドリの仲間に見られる
行動である。 コチドリは、スズメより一回り大きな体の鳥で、砂浜
や河原などに生息している。


砂浜や河原は大きな木が少なく、木の上のような安全なところに巣
を作ることができないので、砂地の中に巣を作らざるをえない。そ
のため、巣とはいっても、砂地にくぼみを作っただけの粗末なもの
だ。大きな木も、岩もなく、見通しがよく隠れることのできない環
境でヒナを育てなければならないのである。


親鳥は敵が巣に接近すると、警戒の声を上げる。すると、ヒナはじ
っと息を潜(ひそ)めて動かなくなる。ヒナにできることは、ただ
ただじっとして、敵に見つからないようにすることだけなのだ。 広
い砂地のどこかで、コチドリのヒナがじっと息を潜めているに違い
ない。


イタチやヘビなどの天敵が巣に近づくと、親鳥は天敵の前に飛び出
して、この擬傷を行う。 そして、傷ついて飛べないふりをしながら、
敵の注意を引き、おとりとなって敵を巣から遠ざけるのである。 自
らの危険を顧(かえり)みることなく、子どもたちの命を必死で守
ろうとするのである。 人間であれば、感動的な親子愛のドラマとい
うことになるだろう。


しかし、行動の主は鳥である。本当に、親鳥は子どもを助けるため
におとりになっているのだろうか。敵の目を欺(あざむ)くような
複雑な行動をとることができるのだろうか。


そもそも、鳥類に人間のような愛があるのだろうか。 コチドリが見
せる奇妙な行動は、しばしば学者たちを悩ませてきた。 コチドリが
翼を引きずるようなしぐさをするのは、傷ついたふりをしているの
ではなく、パニックになって飛べなくなっているだけだという解釈
もされてきた。


しかし、コチドリの行動を見ると、間違いなく、子どもを救おうと
しているように見える。 現在では、コチドリの擬傷は「利己的な行
動である」と説明される。


遺伝学者のリチャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」という考
え方を提案し、生物は個体が遺伝子よりも優先するのではなく、遺
伝子のほうが個体よりも優先すると説いた。すべての生物の体は遺
伝子の乗り物にすぎず、遺伝子を増やすために、「個体」という生
物の体は利用されている、としたのである。


生命の本質は遺伝子にある。そう考えると、利他的と思えた生物の
行動の多くは説明ができる。 自らの遺伝子は子にコピーをしていく
ことができるから、自らの本体を頑(かたく)なに守らなくても、
たくさんのコピーを増やしていけばよい。



コチドリの親鳥が子どもを守ることも、次世代にコピーした遺伝子
を残すためと考えれば、利己的な行動として説明できるのだ。 自分
の身を犠牲にしても、子どもたちを必死で守ろうとする親鳥。 そん
なものは本能である、そんなものは子を思う親の愛ではない、とい
う言い方もできる。


それは間違いではないだろう。 それでは人間はどうだろう。 私たち
は赤ちゃんや幼い子どもを見るとかわいいと思うが、それには理由
がある。 たとえば、人間の子どもは、おでこが広く、目や鼻が顔の
下のほうに配置されている。この配置が子どもであることのサイン
である。


そして、大人はこのサインを見ると、脳は「かわいい」と感じるよ
うにプログラミングされている。そのため、猛獣であるライオンの
赤ちゃんを見ても、かわいく思えるし、キティちゃんのように、そ
の条件を満たしたキャラクターは、かわいく見える。


人間の赤ちゃんや幼児は、大人の保護を受けなければならない存在
である。そのため、人間は子どものうちは、意識的であれ無意識で
あれ、子どもらしさのサインをアピールしようとする。そして、人
間の大人たちは、子どもらしさのサインを見ると、保護しなければ
ならないという気持ちに駆られる本能を持っているのである。


大人が子どもを見て、かわいがるのも愛ではない。言ってしまえば
利己的遺伝子のなせる人間の本能である。 あるいは、子どもがいな
い人にとっては、甥っ子や姪っ子はかわいい。甥(おい)っ子や姪
(めい)っ子は、自分と同じ遺伝子を4分の1持っているからだ。


つまり、甥っ子や姪っ子をかわいがることは、遺伝子を守ることで
もあるのだ。もちろん、自分に子どもができれば、自分の子どもの
ほうがかわいらしくなるものだ。自分の子どもは自分と同じ遺伝子
を2分の1も持っている存在だからだ。 このように、私たち人間の行
動も利己的遺伝子によって説明される。



しかし、どうだろう。それは利己的遺伝子の働きであると言ってし
まえば、あまりに冷たいし、それが本能なのだと言ってしまえば、
あまりに寂しい。私たちの行動は、単なる本能ではなく愛なのだと
信じたい。


コチドリの親鳥は、遺伝子のコピーを持つ子どもが危険にさらされ
れば、危険を顧みずに子どもを守ろうとする。 リチャード・ドーキ
ンスが言うように、すべての生物は遺伝子の乗り物だとすれば、自
分の身を守るよりも、未来に遺伝子を運んでくれる子どもが大切な
のは、利己的遺伝子にとってみれば当たり前の話なのだ。


しかし、コチドリの親はそれが本能か愛かなどどうでもいいと言わ
んばかりに、身を挺(てい)してわが子を救おうとおとりになる。
それがコチドリの親鳥なのである。


それにしても、コチドリの擬傷は命がけである。 何しろ、そこは自
由のきかない地上であり、ヘビやイタチなどは親にとっても天敵で、
動きが速い。その天敵を前に自ら身をさらすのだ。


実際に敵につかまって命を落とす親鳥もいることだろう。 敵を見つ
けて、鳴き声でヒナに警戒をうながした親鳥は、声を上げながら敵
の前に躍り出て敵の注意を引くと、地面にかがみ込んで、大きく広
げた翼を引きずりながらバタバタと震わせて見せるのである。 敵が
近づけば、親鳥は向きを変え、ゆっくりと敵から離れていく。敵に
襲われないように、一定の距離を保っているのだ。


敵のようすを慎重にうかがいつつ、敵が近づけば、遠ざかり、敵が
来なければ、必死に翼を震わせて敵をおびき寄せる。 少しずつ、少
しずつ、親鳥は敵から離れていく。そして、敵を巣から遠ざけるの
だ。少しずつ、少しずつ。もう少し、もう少し。あともう少しだけ
巣から離れれば、親鳥はパッと飛び立って敵から逃げるのだ。


しかし、今回は敵の方が上手(うわて)だったようだ。 一瞬速くイ
タチが襲いかかり、親鳥の首元に食らいついた。そして、親鳥をく
わえたままイタチは、走り去っていった。 それで、おしまいである。



コチドリは必死にヒナを育ててきた。 必死に敵に立ち向かった。 そ
んなドラマも、終わりはあまりにあっけない。 残されたヒナたちは、
その後どうなるのだろう。 実際のところ、コチドリの寿命はよくわ
かっていない。 厳しい環境で生きるコチドリは、寿命を全うすると
いうことがほとんどできないのだ。


多くのコチドリたちが、こうしてあっけなく命を落としていく。 コ
チドリたちは、命をかけて子どもを守る。それがコチドリの子育て
である。 子どものためには、自分の命は惜しくない。それがコチド
リの親なのだ。


コチドリたちの親の行動は、単なる本能にすぎないのだろうか。 そ
れを本能だと言ってしまえば、そうなのかもしれない。 しかし、本
能でないと言えば、それが真実かもしれないのだ。 …









※~


東京都葛飾区で2020年3月、横断歩道を渡っていた小学5年の波多野
耀子さん(当時11歳)と父親がはねられ死傷した事故で、赤信号を
無視して軽ワゴン車で交差点に進入したなどとして自動車運転処罰
法違反(危険運転致死傷)の罪に問われた被告人の男性に対し、東
京地裁(西野吾一裁判長)は3月22日、懲役6年6月(求刑懲役7年6月
)を言い渡した。


判決後、耀子さんの父、暁生さんは会見で「危険運転致死傷罪にな
ってよかったねとは言えない。娘に対して、申し訳ない気持ちが再
び湧き上がってきています」と悔しさを滲ませて語った。



事故は2020年3月に起きた。耀子さんと暁生さんが青信号の横断歩道
を横断していたところ、赤信号にもかかわらず交差点に進入してき
た軽ワゴン車にはねられ、耀子さんは死亡、暁生さんも重傷を負っ
た。警察は、軽ワゴン車を運転していた男性を過失運転の疑いで逮
捕。その後、東京地検は、赤信号を「殊更無視」(およそ赤色信号
に従う意思のないもの)し、時速57キロで交差点に進入したとして
「危険運転致死傷罪」で起訴した。


裁判では、危険運転致死傷罪の要件である「赤信号の殊更無視」を
めぐり、男性が赤信号に気づいた位置の認定が争点となった。被害
者参加代理人の高橋正人弁護士によれば、赤信号に気づいた位置が
信号機に近い場所であれば、基本的に「殊更無視」したことを否定
する方向に働くという。


検察側は、男性は停止線の手前から約28メートルの地点で赤信号に
気づいたと主張。一方、男性側は停止線の手前から約12メートルだ
ったと主張し争っていた。


高橋弁護士は、判決後に開かれた会見で、今回の事故のように、加
害者側がほぼ制限速度どおりで走行し、飲酒していたなどの事情も
なく、純粋に赤信号の殊更無視だけで危険運転致死傷罪が問われた
ケースは「そうそうない」としたうえで、次のように話した。


「争点をクリアできた最大の理由は、実況見分の信用性でした。事
故発生直後におこなった警察の実況見分と、事故から1年半後に弁
護人側がおこなった実況見分、どちらが信用できるのか。前者であ
ると当たり前の判断をしてくれました。これがポイントだったので
はないかと思います」


※~「娘に『よかったね』とは報告できない」


自身も事故で重傷を負った暁生さんは、被害者参加制度を利用して
法廷にも立った。会見で参加したことを問われ、「(被告人と)直
接対峙できるというのは意義がある」と語った。


「裁判自体初めての経験で、流れも何もわからないままでしたが、
娘のためにやれるだけのことはやりきりたいとの思いで参加しまし
た」(暁生さん) 被告人に対しては、「公判中の被告人の様子をみ
ても、とてもまともに話が通じる相手ではないなと思った」とし、
どのように償ってほしいかなどは現時点考えられないという。


懲役6年6月という判決が出た後の耀子さんへの思いとして、「よか
ったねとは言えない」とやりきれない気持ちを吐露した。「(判決
が確定すれば男性が)刑務所に入るよということも、喜ばしいこと
としては報告できません。


なぜこんな事件で殺されてしまったのかという申し訳ない気持ちが、
また再び湧き上がってきています」 暁生さんは、ドライバーが信号
を守るというのは「基本中の基本」で、そのルールを破れば重い罰
が待っているはずだが、「過失」に留まったり、軽い罰になるおそ
れがあることを実感したという。


「今回の事故を通して、『信号を守る』ということをあらためて基
本ルールとして徹底しなければいけないことなのだと再認識してい
ただけるきっかけにしていただければと思います」 …









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